どらっぐてーぶる
あべの安正の小部屋
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真面目な話になるのかな?
さて、ちょいと固いお話をひとつ。
テーマは『無差別殺人の動機』についてですが・・・。
捕まる犯人もそうだが、動機がなんと薄い事か。
「誰でもよかった」「親を困らせたかった」「むしゃくしゃしていた」「目立とうと思った」「面白そうだから」
・・・・・・取り上げ方も悪いかも。
実行後に、ネットやケータイサイトで模倣したような書き込み的犯行予告が出るあたりに今の時世を感じます。
きっちり通報され逮捕者まで出てますが、殆んどの容疑者が言います。「捕まると思ってなかった」と。
あまりに未成熟、無軌道、無知・・・もう少し何かあってもいい気がしますが。
別に犯罪に娯楽性を求めている訳ではないんですが、そう取られるかもしれませんね?
猟奇目的や鬱積した怨恨。突発的な反射的殺人。犯罪隠蔽に繋がる死体遺棄。そして拉致、行方不明、身元不明の亡骸など。
その背景にある人間が持つ『心の闇、その奥深く』まで行かないのかも。
むしろ思想や教育によって、命の重さや犯罪の重要性を認識できていない部分が露呈してきているのかもしれません。
人として、自分の人生を数秒で台無しにできる。その判断すら自由ですし、迷惑とか世間体を認識できるなら・・ホントにもう少しマシな考えがあってもいいと・・・望む自分が居ます。
昨今あった事件では30代の無職男性が起こした無差別殺人をよく取り上げた(比較した)モノをよく目にします。
とりわけ目立つ様になっているのがフリーターや派遣社員といった社会的低辺層の高齢化と未成熟ぶりと、周囲の人間関係希薄さと孤立化だと思います。近所付き合いもなく、家庭内でも自部屋にこもったまま数年を過ごす人もけして少なくないのかも知れません。
ゲームやアニメが精神情況に影響しているとか、ネット社会での主張と実質社会での扱いに付いていけない人も居るのだろうとか、残酷描写や性描写が氾濫し健全な心を蝕むとか。
その意見を否定するには自分は向いてないのかも知れません。
ただ、そういう判断を『する側』の人は、ゲーム・ネット・アニメ(書籍)に浸った事は無いだろうし・・・。
そして、そう判断『された側』の人が社会的状況を享受出来ているとも思えません・・・。
感じるのは確実に存在する断層。あまりに深く大きな溝ゆえに目視できないくらいの。
確かに『ニート』や『ヒキコモリ』をサポート・支援する組織もあるし、相談窓口も多々ある。
だが、そこに行き付き、社会復帰できる者はどれだけいるのだろうか。
最初から努力し、社会に馴染もうとして失敗する。そして、失敗ゆえの恐さから社会に背を向けてしまう。
そんな弱い人々に・・・強力するから窓口まで来い、と言うような風潮が決して無いとは言えないでしょう。
できなから『ニート』や『ヒキコモリ』になってしまう。
立ち直る事のできる存在を提示してはいるのだが、出来るかどうかは本人次第という流れ。
助ける手を差し伸べる側は、相手を見たことが無く。
助けを待つ側は、その手が余りにも遠く。
さりとて供に探しあうには、言葉も通じない。
出口無き迷路にあるのは迷う者と諦めた者しかいない。
そして、そもそも、そんな迷路に入ろうとする者は、本来なら居ない筈だ。
生きる力なき者は、その存在を見失い、ただ時間の経過による加齢のみを知る。
生み出す事も作り上げる事もできず、ただ、老いていく。
弱き者が起こす犯罪が増えている。
その背景にある『生きる力無き者』の存在。
自らを殺す力も無い者が、他人を殺す矛盾感。
死への恐怖からの逃避ゆえの殺傷。
傷ついた事の無い者は、その痛みを知らない。そして優しさを理解できない。
怠惰で自分に都合のいい甘さだけを求めて生きているモノ。
そんな存在が生まれている社会で我々は生きていかなければならない。
そのような世に居るのだから、せめて『人を殺す理由の一つ』でももって居たいものだ。
日曜の昼下がりってのに・・・暗いなぁ・・・。
テーマは『無差別殺人の動機』についてですが・・・。
捕まる犯人もそうだが、動機がなんと薄い事か。
「誰でもよかった」「親を困らせたかった」「むしゃくしゃしていた」「目立とうと思った」「面白そうだから」
・・・・・・取り上げ方も悪いかも。
実行後に、ネットやケータイサイトで模倣したような書き込み的犯行予告が出るあたりに今の時世を感じます。
きっちり通報され逮捕者まで出てますが、殆んどの容疑者が言います。「捕まると思ってなかった」と。
あまりに未成熟、無軌道、無知・・・もう少し何かあってもいい気がしますが。
別に犯罪に娯楽性を求めている訳ではないんですが、そう取られるかもしれませんね?
猟奇目的や鬱積した怨恨。突発的な反射的殺人。犯罪隠蔽に繋がる死体遺棄。そして拉致、行方不明、身元不明の亡骸など。
その背景にある人間が持つ『心の闇、その奥深く』まで行かないのかも。
むしろ思想や教育によって、命の重さや犯罪の重要性を認識できていない部分が露呈してきているのかもしれません。
人として、自分の人生を数秒で台無しにできる。その判断すら自由ですし、迷惑とか世間体を認識できるなら・・ホントにもう少しマシな考えがあってもいいと・・・望む自分が居ます。
昨今あった事件では30代の無職男性が起こした無差別殺人をよく取り上げた(比較した)モノをよく目にします。
とりわけ目立つ様になっているのがフリーターや派遣社員といった社会的低辺層の高齢化と未成熟ぶりと、周囲の人間関係希薄さと孤立化だと思います。近所付き合いもなく、家庭内でも自部屋にこもったまま数年を過ごす人もけして少なくないのかも知れません。
ゲームやアニメが精神情況に影響しているとか、ネット社会での主張と実質社会での扱いに付いていけない人も居るのだろうとか、残酷描写や性描写が氾濫し健全な心を蝕むとか。
その意見を否定するには自分は向いてないのかも知れません。
ただ、そういう判断を『する側』の人は、ゲーム・ネット・アニメ(書籍)に浸った事は無いだろうし・・・。
そして、そう判断『された側』の人が社会的状況を享受出来ているとも思えません・・・。
感じるのは確実に存在する断層。あまりに深く大きな溝ゆえに目視できないくらいの。
確かに『ニート』や『ヒキコモリ』をサポート・支援する組織もあるし、相談窓口も多々ある。
だが、そこに行き付き、社会復帰できる者はどれだけいるのだろうか。
最初から努力し、社会に馴染もうとして失敗する。そして、失敗ゆえの恐さから社会に背を向けてしまう。
そんな弱い人々に・・・強力するから窓口まで来い、と言うような風潮が決して無いとは言えないでしょう。
できなから『ニート』や『ヒキコモリ』になってしまう。
立ち直る事のできる存在を提示してはいるのだが、出来るかどうかは本人次第という流れ。
助ける手を差し伸べる側は、相手を見たことが無く。
助けを待つ側は、その手が余りにも遠く。
さりとて供に探しあうには、言葉も通じない。
出口無き迷路にあるのは迷う者と諦めた者しかいない。
そして、そもそも、そんな迷路に入ろうとする者は、本来なら居ない筈だ。
生きる力なき者は、その存在を見失い、ただ時間の経過による加齢のみを知る。
生み出す事も作り上げる事もできず、ただ、老いていく。
弱き者が起こす犯罪が増えている。
その背景にある『生きる力無き者』の存在。
自らを殺す力も無い者が、他人を殺す矛盾感。
死への恐怖からの逃避ゆえの殺傷。
傷ついた事の無い者は、その痛みを知らない。そして優しさを理解できない。
怠惰で自分に都合のいい甘さだけを求めて生きているモノ。
そんな存在が生まれている社会で我々は生きていかなければならない。
そのような世に居るのだから、せめて『人を殺す理由の一つ』でももって居たいものだ。
日曜の昼下がりってのに・・・暗いなぁ・・・。
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