どらっぐてーぶる
あべの安正の小部屋
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暑い日だったなぁ・・・。
朝から黒の礼服できっちりしてれば、疲れようという物。久しぶりにスーツ着たけど、慣れないから・・・。
昼過ぎに職場で待ち合わせ。それに合わせて準備してたが、移動が電車なので時間配分を考えてた。
『おおさか東線』を使うが時間まで計った事無いし。けど、距離的には遠くないので30分てとこか?
で、いざ乗り換えてみれば22分(乗り換え時間含む)という速さ。
梅雨時は使おうか・・・。
さて、葬式レビューも不謹慎だと思うので他の事をば。
人は何れ死ぬ。
されど、どの様に生き、どう人生を歩んだか。
死に様は即ち生き様。
とか説教みたいなこと言ってもしょうがないんだが、本当の所はどうだろうか?
家族や親類を見送った或いは失った人の持つ死生観はやや重たい。知らなかった事も解る年になって、今一度考え直す死生観もある。つまり、或る程度の受け止め方が出来るようになって、線引きが自然に出来るようになる。
ただし、身内でも親や兄弟だと取り乱すし、事故や病死、特に死にゆく姿を見ないものは尚更。
つまり・・・年老いて行く姿を見ながらだと無意識に死を察知している。そう思うときがある。
現に80過ぎで病院で10年ちかく過ごした人が亡くなるのと、10代で事故死するとでは家族の中にあるその覚悟が違いすぎる。
トラウマや精神異常にまで陥るほどのショックがあって然り。
むしろ人は老いていく事で死を受容していくと考えた方が合うだろうか。
本人も周りの人々も、だ。
何かと人の内面や死生観は興味があるので、葬儀とかは別の見方をしてしまう。それが不謹慎だと言われるなら仕方ないが、本当の所はやはり人の持つ心の中を知りたい。
闇であれ、光であれ。
傷であれ、成長であれ。
人の持つ本質的な部分、感情や理性も含めて、人という存在は、かくも面白く儚く魅力に溢れる。
そういう目で人を観察するのが癖になり、また、自分も他人から見れば観察されているんだろうなぁ・・・。
特に冠婚葬祭はそう何度も体験しないと思うけど・・・葬儀は年と供に増えるが。
礼儀節度に長ける訳じゃないが、確かに慣れていくのは解る。それが自然だし、全く関係無い事など無いのだから。まぁ、苦手な人は居ると思うけどね・・・。
病気とか怪我した事あるから、死生観についてはややズレているかも。もっとも、自分よりハードな病気や怪我してる人もいるから大した事も無いんだが・・・。
書き物とかにもソレは出てるし、盛り込んでいくと思う。
ただ、いくら自分が考えたキャラクターよりも、実在する人の方が遥かに魅力的でドラマチックなのは否定できない。やっぱり人間って面白いよね。
とかを読経の最中に考えてました。
まぁ、不謹慎だわな・・・。