どらっぐてーぶる
あべの安正の小部屋
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休日(前半)。
先週の日曜日、仕事場で競馬見ながらカネゴンさんに、
あ「奈良国立博物館でJRAの展示してるな・・・見に行く?」
か「構いませんよ?」
で、今日行ってきた。
朝の11時から近鉄大阪線で『難波→奈良』まで行く。幸い雨は無く雲はあるが天気は良かった。
やや軽装では肌寒く感じるくらいだったけど、大丈夫。
・・・で、『奈良』。
先日までドラマ「鹿男あおによし」が放送されていた事もあり、観光客は多め。何故か日本人の方が少ない様に感じたけどね。
鹿がそこらじゅうで寝転んでいるので、ありがたくも何とも無い。むしろ邪魔・・・。
公園も兼ねる敷地にモダンな建物が建っている。そう、奈良国立博物館だ。
今回の特別展示は『天馬』。ギリシャからシルクロードを通ってきた過程と其々の時代文化にどの様に吸収され、また親しまれていたかを解りやすく見せていた。
何回か来た事あるな・・・此処は。
さて、展示物であるが、紀元前9世紀の「有翼鷲頭精霊のレリーフ」から西暦800年代の平安美術まで。
何故、ヒトは神や精霊を『人』の形に描くのか?
だいたい自分がこういう催しに対して抱く根本的疑問である。
どこかで回答が出ていたが、
ヒトが作り出した神は『人』の形を取る。もし牛が神を想像したら『牛』の形になるだろう、と。
この言葉は妙に納得してしまったな。
で、だ。
今回のテーマである『天馬』とは、「翼のある馬」であり、一概に「ペガサス」とは表記していない。
ギリシャ神話では「ペガサス」は「メデューサ」の刎ねられた首の血潮から生まれたとされている。その後「ベルレフォン」が乗りこなす事になる。
その後、ペルシア、イスラムからローマ、シルクロードを経て実は日本まで来るんだが。
各時代において「翼のある馬」は権力者の象徴とされ、力強さと平穏を表すとされていた。
その下地には、「ペガサス」を駆り、「魔獣キマイラ」を倒したヘラクレスの物語がある。誰もが知る英雄譚を時代の権力者はなぞらえて、人々の信仰を集めたのだろう。
書けばそうなるが、実際、その時代に築かれた神殿の柱の飾りの多く使われたのは「ペガサス」だった。大理石に彫刻されたものは、かなりの技術を要したと思われる。
むしろその惜しみない技術が現代まで生き残るんだが、石器から青銅、銀、そして緻密な彫刻へと様々な素材で作られた「天馬」は当に、人々と供に生きた「馬」という生き物を神聖、神格としていた。
スッゲェ細かい金細工にもあるけど、手作業でしか成し得ない代物は芸術だ。
やがて硬質の物質から絹の織物になるが、その頃には(シルクロードを通ってきてから)「翼ある馬」から、純粋に優れた馬を手にしていた人の姿がある。
中国の前漢時代に権力者(漢の武帝、曹操?)が褒め称えた「汗血馬」の記述がそれを物語る。
ついに伝説、神話から所有物にまでなった。
・・・幻想から現実に。
この時点で「ペガサス」は「駿馬」となって人と生きていた。
だが、意外な所にその存在が現れる。
仏教美術の中で紋章として描かれていたのだ。
『金剛界曼荼羅』の左側(何だっけ?)、の神仏が座る蓮の下に、実は「翼ある馬」が描かれていた。
同じくインドから伝わった仏教美術の中に「翼ある像」や「鳳凰」に「孔雀」に並んでその姿を残していたのだ。・・・・・・うわ・・・鳥肌・・・。
そして、「馬頭観音」として神となり、「十一面観音」の対に描かれる神獣となった。
スゴクね!?コレ、スゴクね!!??
そして現在でも世界の至るところで「天馬」は描かれている。
うーーん・・・感動したなぁ・・・。
そして、出口付近でちょっとだけあった「JRA共催」のコーナーで、必要以上にテンションをあげた『あべの』と『かねごん』がはしゃいでいた・・・lliorzlli
喫茶コーナーのバイトの女の子が笑うくらい。
武豊の勝負服とヘルメットをかぶった「かねごん」の写真を撮ったが、本人の都合によりアップしないでおきます。だって、すごく楽しそうなんだもん・・・。
2006~2008年の「天皇賞(春)」と「優秀駿馬(ダービー)」に纏わるモノが展示してあった。
ディープインパクト、スズカマンボ、メイショウサムソンの三頭と安藤勝己騎手と武豊騎手。原寸大のディープと同じくメイショウの前で人目もはばからず騒ぐ二人を遠巻きに眺める一般の人。
やっちゃってますか!?
おそらく京都競馬場の出向のお姉さんだけが友好的笑顔だった・・・。
うは、楽しい!!!!
本当にどっちがメインで来たのやら・・・。
楽しい時間だったなぁ。また、博物館には行きたいねぇ?
あ「奈良国立博物館でJRAの展示してるな・・・見に行く?」
か「構いませんよ?」
で、今日行ってきた。
朝の11時から近鉄大阪線で『難波→奈良』まで行く。幸い雨は無く雲はあるが天気は良かった。
やや軽装では肌寒く感じるくらいだったけど、大丈夫。
・・・で、『奈良』。
先日までドラマ「鹿男あおによし」が放送されていた事もあり、観光客は多め。何故か日本人の方が少ない様に感じたけどね。
鹿がそこらじゅうで寝転んでいるので、ありがたくも何とも無い。むしろ邪魔・・・。
公園も兼ねる敷地にモダンな建物が建っている。そう、奈良国立博物館だ。
今回の特別展示は『天馬』。ギリシャからシルクロードを通ってきた過程と其々の時代文化にどの様に吸収され、また親しまれていたかを解りやすく見せていた。
何回か来た事あるな・・・此処は。
さて、展示物であるが、紀元前9世紀の「有翼鷲頭精霊のレリーフ」から西暦800年代の平安美術まで。
何故、ヒトは神や精霊を『人』の形に描くのか?
だいたい自分がこういう催しに対して抱く根本的疑問である。
どこかで回答が出ていたが、
ヒトが作り出した神は『人』の形を取る。もし牛が神を想像したら『牛』の形になるだろう、と。
この言葉は妙に納得してしまったな。
で、だ。
今回のテーマである『天馬』とは、「翼のある馬」であり、一概に「ペガサス」とは表記していない。
ギリシャ神話では「ペガサス」は「メデューサ」の刎ねられた首の血潮から生まれたとされている。その後「ベルレフォン」が乗りこなす事になる。
その後、ペルシア、イスラムからローマ、シルクロードを経て実は日本まで来るんだが。
各時代において「翼のある馬」は権力者の象徴とされ、力強さと平穏を表すとされていた。
その下地には、「ペガサス」を駆り、「魔獣キマイラ」を倒したヘラクレスの物語がある。誰もが知る英雄譚を時代の権力者はなぞらえて、人々の信仰を集めたのだろう。
書けばそうなるが、実際、その時代に築かれた神殿の柱の飾りの多く使われたのは「ペガサス」だった。大理石に彫刻されたものは、かなりの技術を要したと思われる。
むしろその惜しみない技術が現代まで生き残るんだが、石器から青銅、銀、そして緻密な彫刻へと様々な素材で作られた「天馬」は当に、人々と供に生きた「馬」という生き物を神聖、神格としていた。
スッゲェ細かい金細工にもあるけど、手作業でしか成し得ない代物は芸術だ。
やがて硬質の物質から絹の織物になるが、その頃には(シルクロードを通ってきてから)「翼ある馬」から、純粋に優れた馬を手にしていた人の姿がある。
中国の前漢時代に権力者(漢の武帝、曹操?)が褒め称えた「汗血馬」の記述がそれを物語る。
ついに伝説、神話から所有物にまでなった。
・・・幻想から現実に。
この時点で「ペガサス」は「駿馬」となって人と生きていた。
だが、意外な所にその存在が現れる。
仏教美術の中で紋章として描かれていたのだ。
『金剛界曼荼羅』の左側(何だっけ?)、の神仏が座る蓮の下に、実は「翼ある馬」が描かれていた。
同じくインドから伝わった仏教美術の中に「翼ある像」や「鳳凰」に「孔雀」に並んでその姿を残していたのだ。・・・・・・うわ・・・鳥肌・・・。
そして、「馬頭観音」として神となり、「十一面観音」の対に描かれる神獣となった。
スゴクね!?コレ、スゴクね!!??
そして現在でも世界の至るところで「天馬」は描かれている。
うーーん・・・感動したなぁ・・・。
そして、出口付近でちょっとだけあった「JRA共催」のコーナーで、必要以上にテンションをあげた『あべの』と『かねごん』がはしゃいでいた・・・lliorzlli
喫茶コーナーのバイトの女の子が笑うくらい。
武豊の勝負服とヘルメットをかぶった「かねごん」の写真を撮ったが、本人の都合によりアップしないでおきます。だって、すごく楽しそうなんだもん・・・。
2006~2008年の「天皇賞(春)」と「優秀駿馬(ダービー)」に纏わるモノが展示してあった。
ディープインパクト、スズカマンボ、メイショウサムソンの三頭と安藤勝己騎手と武豊騎手。原寸大のディープと同じくメイショウの前で人目もはばからず騒ぐ二人を遠巻きに眺める一般の人。
やっちゃってますか!?
おそらく京都競馬場の出向のお姉さんだけが友好的笑顔だった・・・。
うは、楽しい!!!!
本当にどっちがメインで来たのやら・・・。
楽しい時間だったなぁ。また、博物館には行きたいねぇ?
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