どらっぐてーぶる
あべの安正の小部屋
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忘れた原風景。
休日の事だった。
月に一度、処方箋を取りに行くだけだった。その時に見た光景が印象に残っている。
ふと、見れば新しい道路、2車線の幅が既に確保されてあった。
工事用フェンスに隔てられた空間に、取り残された家屋が朽ちた姿で残っている。
もう何年も放置されたであろう家に当然、人の気配は無い。
去年、この近くで野良猫を見かけたが、今はもう何も無い。
新しく造成される道路に面していた昔ながらの長屋が、白い一軒家に変わっていた。
いつも誰かが花壇の手入れをしていた場所に、無機質なコンクリートの駐車用スペースがあった。
その場所には小さな躑躅(つつじ)があったな。
ただ新しくなっただけで、人が集まる事は無い。
温もりを感じない白い家だけがある。
そこは公園だった。小さな、それでも木が何本かあった。
ジャングルジムと滑り台とブランコ。真ん中に立った時計が6時をさす頃に、向かえが来た。
母親に連れられて帰る。まだ遊んでいる子らを羨ましく思ったが、今思い起こせば親に事情があったのだろう。
蝉が群がった楠木。
色取り鮮やかな銀杏。
知らぬ間に生えていた紫陽花。
そのどれもが根を見せて枯れ果てていた。
幾度と無く転んだ土はアスファルトに変わり、時計台はもう台座ごと無かった。
飽きる事なく、時間を忘れて駆け回っていた公園は、もう無い。
こんな小さな土地だったのか。
こんな狭い場所だったのか。
笑いながら走った子らはもう居ない。
懐かしさと寂しさ。
夕暮れの帰り道が遠い。
見慣れた物が姿を消して、その事に感動もせず冷静に捉える自分がいる。
そこに何があったのか、いずれ思い出せなくなる。
通り過ぎるだけの区画に、そんな場所があったと。
見上げた木々はもう無い。
次に現れる物は、きっと何の感動も呼び起こさない普通のありふれた物だろう。
それが普通だ。
大人になったと思う。
子供ではなくなっただけかも知れない。
ただ、そこに自分が居たぐらいは忘れたくないけど。
月に一度、処方箋を取りに行くだけだった。その時に見た光景が印象に残っている。
ふと、見れば新しい道路、2車線の幅が既に確保されてあった。
工事用フェンスに隔てられた空間に、取り残された家屋が朽ちた姿で残っている。
もう何年も放置されたであろう家に当然、人の気配は無い。
去年、この近くで野良猫を見かけたが、今はもう何も無い。
新しく造成される道路に面していた昔ながらの長屋が、白い一軒家に変わっていた。
いつも誰かが花壇の手入れをしていた場所に、無機質なコンクリートの駐車用スペースがあった。
その場所には小さな躑躅(つつじ)があったな。
ただ新しくなっただけで、人が集まる事は無い。
温もりを感じない白い家だけがある。
そこは公園だった。小さな、それでも木が何本かあった。
ジャングルジムと滑り台とブランコ。真ん中に立った時計が6時をさす頃に、向かえが来た。
母親に連れられて帰る。まだ遊んでいる子らを羨ましく思ったが、今思い起こせば親に事情があったのだろう。
蝉が群がった楠木。
色取り鮮やかな銀杏。
知らぬ間に生えていた紫陽花。
そのどれもが根を見せて枯れ果てていた。
幾度と無く転んだ土はアスファルトに変わり、時計台はもう台座ごと無かった。
飽きる事なく、時間を忘れて駆け回っていた公園は、もう無い。
こんな小さな土地だったのか。
こんな狭い場所だったのか。
笑いながら走った子らはもう居ない。
懐かしさと寂しさ。
夕暮れの帰り道が遠い。
見慣れた物が姿を消して、その事に感動もせず冷静に捉える自分がいる。
そこに何があったのか、いずれ思い出せなくなる。
通り過ぎるだけの区画に、そんな場所があったと。
見上げた木々はもう無い。
次に現れる物は、きっと何の感動も呼び起こさない普通のありふれた物だろう。
それが普通だ。
大人になったと思う。
子供ではなくなっただけかも知れない。
ただ、そこに自分が居たぐらいは忘れたくないけど。
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